渓の童子

OLD TALE

むかしむかしの話です。
行きたい時に自由に行けていた時代です。あの頃は、無知すぎた。

1.初めての渓流釣り

25歳前後の事だったと思う。
その頃の僕たちは波止からのふかせ釣りでちぬ、クロ釣りに夢中でかなり遠方まで出かけていた。
幼馴染みの友人であるG君とは小学の低学年頃から海山で遊び呆け、それは青年期まで続いた。
そのG君が渓流釣りをするMさんと知り合い、僕を渓流に誘ってくれたのだ。

僕たちの生まれた地域はまったく渓流とは無縁で、ヤマメは写真でしか見たことが無かったし、
岩魚などは本気で幻の魚だと信じていた。その未知なる釣りの誘いに大喜びで乗った。

僕のワンボックスカーに一泊分の食料と入門書を参考に揃えた安物の釣具一式を積み込み、
3時間以上掛けてたどり着いたのは岩と砂で構成された底まで透けて見える小さな川だった。
広葉樹が覆い被さり片側は護岸されていた。本当にこんな所で釣れるのだろうか?

すでに夕方だったが、食事の前に少しやって見ようということで、Mさんからそれぞれ
分散して釣る様、指示を受け僕は車の真ん前にある、その小さな川と更に小さな沢の合流点から
釣り始めたが何も釣ることは出来なかった。彼らも同様に釣っていなかったと思うが定かではない。

翌日、朝食前に昨日と同じ所にキジを流すと何故か釣れた。始めて見るアマゴはエラからパーマークを
隠すほど血を流しヒクヒクと揺れていた。「何と弱々しいお魚だろう」が初対面の印象だった。

その後、峠を越えてある川の源流部に転進した。
岩魚がこの川で釣れるとMさんは言っていたが、今思えば水量不足で渓相も岩魚向きではない川だった。G君と一緒に釣り 上がる。岩魚がどんな姿をしているのか二人とも知らない。

最初に魚信を捕らえたのは僕だった、5cm程の小さいお魚、岩魚だろうか?
二人で話し合った結果、岩魚の稚魚に違いないと言う事になって、ビニール袋にキープした。
別の支流に入っていたMさんが「釣りならん!」と僕らの後を追って来たので、その魚を見せる。

「あぁ、これかぁ。食べられんことは無いよ。」と困り顔でつぶやく。岩魚ではないらしい。
名前を聞いてみると「アブラハヤとかドロバエとか言うんよ・・・。」やはり困った顔でつぶやく。
「ゲッ!名前からして外道だな!?」・・・そんな事も知らない僕たちだった。

しばらくして、G君が上流から戻って来た。なぜか妙に真剣な顔をしている。
僕らに近付くと腰に下げたビニール袋から20cmほどの魚を取り出し、「これ、岩魚やろうか?」

三人で小さな魚を中心に頭を着きあわす。
青紫に輝く魚体、ちいさな白い点が背側にあった。綺麗だった。
昨日釣った、アマゴに似ているが色合いが随分違う。岩魚だと言う。
アマゴと岩魚は色の違う綺麗な魚。その頃の僕にはそんな違いしかを見出すことが出来なかった。

これが僕の初渓流釣り。
最初の川が錦川水系の宇佐川のまた支流で、次の川が高津川水系の高尻川の源流部。
もちろん遊漁証などある事も知らなかった。

その後、G君と何度も渓流に通い、徐々に行動範囲を広げていった。
4、5年経過後、彼の結婚により足が遠のいてしまい、それから10年以上渓には行く事はなかった。

2.ゴキと暗闇と静寂

この川は『ゴキ』っちゅう岩魚の生息域西端らしぞ。

渓流を始めて間もない頃のことだった。
G君はどこからかそんな情報を仕入れてきた。今週向かう川の事らしい。
何故か『ゴギ』ではなく『ゴキ』と彼の頭にインプットされていた。
もちろん僕は何も知らないのできっちり『ゴキ』と記憶された。
『ゴキ』ってどんなんやろ?見て直ぐ分かるんやろか?そんな会話を交わしながら夜の道を走った。

その頃は夜走って、車中泊、朝一から釣り、こんな釣行を繰り返していた。
その日も峠を越えた所に車を停めると睡眠を摂ろうと横になる。
ライトを消すと真っ暗闇だった、幾ら目を見開いて回りを見渡しても少しの薄明かりさえ見えなかった。
これは初めての経験だった。目をつむっても開いても何も変わらない、それは不思議な世界だった。

何故か虫さえ鳴いていない全くの静寂と闇。眠れなかった。
静寂と言ったが窓を明け、耳を澄ませば川のせせらぎが僅かに聞こえた。さらに耳を澄ますと・・・。
『ジッ』時折そんな音が聞こえた。「なんか変な音が聞こえんか?」と僕が聞くと、
「・・・ああ、何か聞こえるのぉ、さっきから気がついちょったけど怖いけぇ、言わんやったそ。」とG君。

『ジッ』。ふたりは気持ち悪くてしょうがないが、正体が掴めない。まだ時々聞こえる。
周期的に聞こえる。一定の間隔で聞こえる。一分くらいの間隔で・・・「えっ!?」
車の時計だった。そうして僕たちは眠れぬまま朝を向かえた。
今度から駐車は少しは明かりがある所でしようや。二人で誓い合ったのだった。

その日、沢山の『ゴキ』を釣った。
この川のゴギは黄土色に薄い斑点の個体ばかりで美しいとは思えなかった。

その後の釣行でも上流部に入るとゴギは何処でもどんな条件の時でも釣れた。
そんな具合なのでゴギのランクはどんどん下がり、海の穴ぼこに棲む、ドンコ並に成ってしまった。

つい最近までその魚の名は『ゴキ』と信じていたし、G君と話す時は今でも『ゴキ』のままだ。
そして山で夜を過すこともなくなったし、ゴギもずいぶん少なくなってしまった。

3.すがすがしい渓流釣りを知る

朝の冷たい空気。渓流は気持ちが良い。

初めて渓流釣りに行った時には遊漁証の存在を知らなかった。
テリトリーを広げるに連れ知識も増え、それが必要だと言うことを薄々感づいていたが買うことは無かった。
その、うしろめたさから無意識に人に出会うような場所に行かなかったのかも知れない。
また、遊漁証を付けた釣り人に会うこともなかった。

ある時、石谷川の里川で遊漁証を付けた釣り人に出くわした。眩しかった。
僕たちは子供の頃から悪い事の出来ない正直者?だったが、
これに関しては何故か悪人だった。その後も持つことはなかった。

数年前、渓流釣りを再開するにあたって、初めて遊漁証を購入して川へ入った。
何と気分のいいことか。無い時の10倍はすがすがしい釣りなのだ。

なんで早よう、買わんかったんかいな。

4.幅広ヤマメと雨

その日は朝からシトシト雨が降っていた。
意を決して、外に出て川を覗くとコーヒー牛乳色をしていた。
これはダメだろう。ちょっとやったら止めようと話してから川に立った。
川は轟々と流れていた。その川のカーブの外側だから流れは強い。
初めての川なので底の状況も解からず、キジを流す。

直ぐにアタリが有った。強く重い引き、幅広のヤマメだった。
同じポイントで次々に幅広が釣れた。同一ポイントで何匹も釣った事など無かった。
不思議な体験だった。

次の朝、雨も止み透明度を取り戻した川の同地点に立つ。
ゴロタ石の荒瀬っぽい浅場でヤマメが定位する場所とはとても思えなかった。
何も釣れなかったし、釣れる気もしなかった。
本流の近い場所なので、溯上(避難)の途中だったと勝手に結論付けた。

最近、この川(石谷川)を見たが、川底の様子がずいぶん変ってしまった。
あのポイントに降りて見たかったが、下流から釣り上がるルアーマンの
姿があり、見ることは出来なかった。いずれ確認しに行って見るかな。

5、渓流の朝の定番


外が薄明るくなり始めると僕たちは車のシュラフから抜け出し朝食の準備を始める。

焼いたフライパンにバターをたっぷり流す、ベーコンを炒め、卵を落とし少し混ぜる。
多少半熟状態で皿に移し、フライパンに残った脂で食パンを焼き、さらにバターを追加する。
バターが染みこみ焦げ目の着いたトーストに、皿のベーコンエッグを乗せると一気にかっ食らう。
もちろんコーヒーも平行して沸かし、こちらはゆっくりと飲みながら次のベーコンエッグトーストに取り掛かる。
これが美味いんだ。

次のベーコンエッグは半部に切って、食パンに乗せて半折にした物を紙に包んでベストのポケットに突っ込む。
釣りの休憩の時に食うのだ。こんな余裕の釣りをする事もなくなってしまった。

移動中の車中で食う菓子パン、良くてカップ麺。味気ないねぇ。

6、あの堰堤下のゴギとヤマメ

今は禁漁区となったある支流の合流点からやや上流に古びた堰堤があった。
一面に張られていただろうコンクリートのほとんどが崩れ、深みを作り、ゴギの格好の棲家となっていた。
ほんの短い区間だが、僕はよくこの川に入っていた。

 ある小雨の降る日、いつもの様に堰堤の上に降り、石垣の護岸に移動すると、ひとつ下のポイントにキジを流した。ひと流し目が終わる頃、対岸のコンクリートの下から灰色の影が突進してくるのが見えたと同時に、竿を引き込んだ。その魚は抜けるかどうか迷っている僕を察してか上下左右暴れまくった。意を決して抜き上げラインを掴むと、そう綺麗とは言えないがいい型のヤマメが目の前にぶら下がっていた。

 早く上がって友達に自慢したいのだが、直ぐ上に好ポイントがあるので取り合えず魚篭に突っ込むと堰堤直下のコンクリートの剥がれた小さなプールに餌を送った。すぐにモゴモゴとしたアタリが出た。合わせを入れるが、お魚は動じる事無くその場でグリグリと暴れている。またも緊張しつつ抜き上げると今度はゴギだった。なんと二投でその頃のヤマメとゴギの自己記録を更新してしまった。

 鬱陶しい雨も蒸発してしまう程の晴れやかな顔で友の待つ車に戻った。
友人は雨と睡眠の欲求に負けて車で寝ていた。その魚を見せると平静を装いそそくさと釣りの準備を始め、「雨が小降りになったヶ、ちょっと行って見るヮ」と出て行った。

 あの堰堤はもう無いんだろうなぁ。

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